読者カード
本を買うと「読者カード」とか「読者アンケート」というハガキが入っています。
日本語教師になって教科書や問題集を買って、当然のようにハガキが入っているので、書いてみました。
前職が印刷業、営業でした。お客さんと話すと「ハガキは僕たちのモチベーションですよ」と言っていたのを思い出したのです。
またこのアンケートハガキ、手で入れるんですよね。大きな印刷会社や今はもう機械があるのかもしれないけど、私が勤めていたときは手で入れていました。一部一部。
編集している人たち、ハガキを入れる人たちのことを思い出して書いてみました。
簡単です。住所とマルつけるだけのアンケート。マンションの前にあるポストにいれるだけ。
記念品を差し上げます、とか抽選でプレゼントがなんとか、なんて書いてあった気がするけどそれも忘れてたころ封筒とレターパックが届きました。
封筒に入っていたのは、ノベルティのメモ帳。
「みんなの日本語」という日本語教育のスタンダードの教科書のキャラクター、ミラーさんのメモ帳。
レターパックに入っていたのは、「みんなの日本語」の手引きのプリントアウトと図書目録。
この「みんなの日本語」ですが、たっくさんあるのです。そろえるのに相当時間がかかります(私にとっては)
学生が使ういわゆる教科書といわれる本冊、外国語で書かれている文法解説書、教師がみる手引き、音声CDと動画DVD、問題集が7冊くらい、絵教材というイラスト集、など。
戴いたのは教え方の手引きの付録のCDのプリントアウトですが、本1冊分くらいの分厚さです。
ちょいちょいっと書いたハガキのお礼に、ノベルティと本一冊分くらいのプリントアウト。こういうのをもらうと、頑張ろうと思えたりします。
前職がなければ気づけなかった読者ハガキ。ちょっとの手間でお得なプレゼントとモチベーションをちょうだいすることができるかも、です。
インドへのみちのりーマネートラブル編ー
わたしが初めてインドに行った2016年の年末は、インド国内は激しいマネートラブルに見舞われていました。
ちょうど11月の中旬ごろ、深夜にインド政府が発表したのです。
「今から4時間後、新しい紙幣を導入します。新しい500ルピー札と2,000ルピー札です。つきましては古い500ルピー札と1,000ルピー札は廃止しますので使えません」
まとめるとこんな感じです。
国内で偽札が大量に流通しており発表から実施まで時間があるとまた偽札を作られてしまうから、GDPの20パーセントにもおよぶ政府が把握できないブラックマネーのあぶりだし、というのが果てしなく強引な政策の理由だとか。(興味があるかたはこちら)
国内は大混乱です。
旧紙幣は1ヶ月の間に銀行に預金ができます。一度預金しもう一度引き出すと新紙幣に変わっている、という仕組みです。インドは現金経済。ATMからお金を出すため長蛇の列が。夕方には機械にお金がなくなるという日本では絶対お目にかかれない状態に。しかもATMの引き出し限度額が制限されるなど付随する状況もこまったものでした。(というか私のキャッシュカードはインド対応してませんでした)
100ルピー札がなく、買い物で2,000ルピー札を出すと断られました。
結果カードが使えるお店しか入れず。
私が滞在した町はヨガで有名な町だったので、ヨガ教室とか行きたかったのですが2,000ルピーは受け取ってもらえないのです。
(「じゃいいよ、明日持って来て」と支払いはあっさり待ってくれました)
何人か助けてくれる人がいて、2,000ルピーを両替をしてくれたり、日本円と両替してくれたり。
しばらく滞在すると私も慣れてきたもので、買い物をする代わりに両替してくれと頼んだり。
通っていた洋服屋さんのにいちゃんは両替にかこつけてデートに誘って来たりしました。両替してくれるという水屋のおじさんは2,000ルピーを渡すと道に立って高々をお金を掲げます。するとハイハイ!と別のおじさんが名乗りをあげてその場で両替。
そんな感じでなんとか2週間の滞在を乗り切りました。
(その後のインドの様子はこちら)
インドへのみちのりーアライバルビザ編ー
2016年12月に初めてインドへ行った時にアライバルビザ(visa on arrival)を利用しました。
これはインドの指定の空港で発行されるビザプログラムです。
事前の申請は要らず、空港で書類に記入しパスポートを提出、カードで手数料を支払うと発給されます。
今考えてみると、空港で発給が許可されず退去となることもあるのだし、だいたい私の便は深夜に空港につくのだから事前に大使館に短期滞在ビザを申請するほうが安全です。なのに、なぜかノリに乗っていた私は初海外一人旅でアライバルビザに挑戦しました。
世界最強といわれる日本ならでは、のビザプログラムで他の国は適用されていません。→インド大使館HP
簡単に言うとこんな感じです。
【大使館に申請するビザ】
有効期間は取得から6ヶ月、連続90日滞在可能、インド大使館にて申請(郵送可)
【ライアバルビザ】
60日以内の滞在が2回・再入国1回有効、空港についてから申請、2,000ルピー要
他にもe-visaなんてプログラムもあるのですが、めんどくさそうだったのであまり調べていません。
こちらのHPを何度も読んでシュミレーションしました。
(2018年現在はカウンターの場所が変わっているそうなので注意!)
インドに入国して看板通りにアライバルビザ申請カウンターに行きました。日本語ができるスタッフが24時間常駐しているとHPにはあったのですが。
……だれもいません。
しかも近くのベンチに座っているインド人たち、こちらをガン見。
なんかハイになっていたので、動じずじっと立っていると数分したらスタッフが来ました。
予め日本で書いてきた書類を提出。するともう1人スタッフ、そしてもう1人。
全部で3人来たのですが、誰1人日本語できず。
なにやら一番若いスタッフにもう1人のスタッフが教えながら入力している模様。
もう1人は、というとカウンター後のキャビネットに座って足をぶらぶらさせながらニコニコしてたまに私に手を振ってくるのです。
しかして無事にビザをもらいました。
このアライバルビザなんですが、いわゆるパスポートに貼るタイプのものではなくホントだたの紙切れなのです。
インドではホテルなどに外国人が宿泊するときパスポートとビザの提出が義務付けられています。
わたしが行った2016年はまだアライバルビザが復活して数ヶ月。このアライバルビザを出しても「haaaa????」みたいな対応を数回されました。
飛行機からおりてわずか30分あまり。
ベンチのガン見インド人、常駐どころか日本語できない空港カウンター職員。
これからの旅に一抹の不安を感じながらも、インドに入国したのです。
鍵の110番に110番。
築20年過ぎているマンションなので、いつかはと思っていたが鍵が抜けなくなりました。
幸運にも、帰宅しドアを開け鍵を抜こうとしたところだったので家には入れたんですが、しばらくの間は慌てました。
ネット情報を頼りに、小刻みに動かし抜こうと奮闘するも抜けず。
22時近かったので諦めて鍵の110番に電話をしました。
対応のお兄さんはとても親切。遅い時間に今から鍵屋さんがくるのもなんかイヤだったので翌日にお願いしました。「10時までには電話させます」とのこと。
鍵が刺さりっぱなしも怖いのでタオルを巻く、という応急処置を施して翌日を待ちました。
……翌日10時になっても電話はかかって来ず。30分近く過ぎてから電話がかかってきました。その時の電話対応も「……?」と感じることも無くはなかったけど、そのままお願いしました。電話では「鍵交換は13,000円からで、部品によっては少し変わります」とのこと。
それから60分ほどして2人の若いお兄ちゃんが来ました。すぐに鍵は抜けて、交換の見積。
「44,000円です。でもネット割引きで39,000円にさせてもらいます。」
・・・・・はぁ?
そんなに高いのか聞くと古い鍵だの部品がどうの、セキリュティがどうの。
カード払いができるか聞くと
「個人情報の手数料がかかるので、41,000円になります」
・・・・・なんだそれ?
「ここでしなくても結局一緒ですよー。どーされますかーーーー?」
態度にも値段にもムカついたので待たせて管理人室に言って事情を説明すると、すぐにいつもお願いしている鍵屋さんに聞いてくれました。
交換しても20,000円しないとのこと。
管理人さん曰く「鍵屋や水回り110番は足元みてくるから、ええことないで」。
部屋に戻って深呼吸し、笑顔で「鍵抜き代いくらですか?修理はいいです」と言いました。
「抜き代はちょっと高めに設定されてるんですよー。12,960円です」
女だからってなめんなよ、と言いたかったが笑顔で払って帰ってもらいました。
結局すぐ近くの地元の鍵屋さんに鍵ごと交換してもらって19,440円。
特殊な技術でも使う人によってこんなにも違うのだと実感するのでした。
矢が刺さる。
思いもよらない、今までそんな発想なかった、という考えがスポーン!と頭に飛び込んでくることがあります。
これを「宇宙からのメッセージ」とか「神様の啓示」とか言ったりするのだと思いますが、わたしは「矢が刺さる」と言っています。
この、矢が刺さった時というのが厄介で。
「へ?なんでこんなこと思いついたんだワタシよ」という突飛なものが多いのです。
あとから自分自身にNOの言い訳をして回避することができるのですが、たいてい実行しないとよくないことが起きます。
そして渋々ながらも実行すると必ずいい結果があったり、ご褒美のような事態に遭遇します。
人生のターニングポイントという時には必ず矢が刺さっていました。
- 家から学区内で一番遠い高校を選んだとき
- 東京に住んでいながら大阪の大学を受験したとき
- 田舎の製造業の会社に就職すると決めたとき
- マンションを買うとおもいついたとき
- 転職→退職という発想
- 箔がつくからインド
- 日本語教師という仕事
実際矢が刺さったら迷います。でも一度矢が刺さってしまうと、どうしようもなく自分の真ん中らへんがそっちに引っ張られるような感覚になります。
苦労するだろうとか、あっちのほうがもっといい条件なのに、とか考えれば色々「できない理由」を作れるのですが、やっはり引っ張られる。
そしてまよったとき私は「なにがほしいの、なにをのぞむの」だけを基準に決めるようになりました。選ぶ理由を他人に求めると、それは必ず破綻するのです。
だから自分がほしいもの・自分がのぞむものを知っていることはとても大切。
わからないと迷うからです。
今はこうして選んだ方に進んでいる道中。でも矢が刺さらず何も選ばなかった数年前と、今は別世界。
また「今⁇⁇⁈⁉︎」というタイミングで刺さる矢を(少し怖がりながらも)楽しみにしているのです。
インドへのみちのりー手配編ー
「インド行きなよ、ヨガやるならインド。箔がつくから」
そんな一言でインドに行くことを決めてからは、自分でも不思議なほど迷いなく手配を進めました。
まず、インドのどこへ行くかを考えました。
ヨガで有名なのは北部ウッタラカンド州のリシケシ、南部ケララ州のゴア。
とりあえず、「リシケシ=ハタヨガ、ゴア=アシュタンガ」という勝手なイメージからインドに行ったことがある人にリサーチ。
ゴアに行ったことがある人たちが言うのは「完全に観光地化されてるよ」
リシケシに行ったことがある人たちが言うのは「日本人宿があるし過ごしやすいよ」
旅行会社に手配を頼むといかほど?と思い問い合わせると年末なので中々のお値段で、ゴアの方が費用がかかりました。
◆こんなブログも参考にしました→街角のクリエイティブ
そこで大した理由もなくリシケシに決めました。
リシケシにある日本人が経営しているという宿「yellow guest house」に泊まればなんとかなるか、と今までの自分では考えられないほど無計画なプランニングがスタートしました。
親切なブログが多く、個人手配のhow toが記されているブログを読み飛行機はスカイスキャナーで探すことにしました。→sky scaner
いろいろあって(後日かきます)、退職当日中にどうしてもインドにいきたかったので午後関空発のフライトとという制限があったので料金は通常よりだいぶ高くなりました。乗り換え2〜3時間のちょうどいい組み合わせでしたが、たしか¥110,000ほどだったと思います(通常は¥60,000〜¥90,000もあれば◎)
通常デリーまでは9時間前後のフライト。関空から直行便は出ていません。
成田から数社のフライトで直行便があります。
私が購入したのは中国南方航空(広州でトランジット)の便でした。
ゲストハウスと飛行機を予約したはいいけど、色々心配事があります。
- 最初の難関、デリー空港から街のホテルまでどうやっていくか。
- デリーからリシケシまでどうやっていくか。
- リシケシからデリーまで列車でいきたいけど、どうやって手配するか。
- インドで使えるsimカードの手配をどうすればいいか。
数日ネットサーフィンをしても良い案が見つからなかったので、現地で日本人女性が経営されている旅行代理店にメールで問い合わせました。
ITB、 Ideal Travel Bureauという会社です。こちらの山本さんという方が本当に親切で、
「インドの旅で一番大切なのは無事に帰ることです」と、メールでの相談から親身になってくれました。
デリー空港からの送迎とホテルの手配、デリー→リシケシのタクシー、リシケシ→デリーの列車のチケット、現地simカードの購入全てをお願いしました。たしか¥25,000ほどだったと思います。
(後日談として、一人で長距離タクシー乗るなんてクレイジーだ!と言われました笑。最初は飛行機でお願いしたのですが、この時期は霧がすごくて飛行機はまず飛ばない。列車は時間どうり来ない、ということでタクシーというチョイスになりました)
おおまかな手配はこんなところです。
こうして粛々と手配を進め、退職したその日に私はインドに向かうのでした。
デリー空港・正式名称インディラ・ガンジー空港の入国審査ゲート。
退職のあらまし。
大学を卒業してすぐ、印刷会社に入社。
自分の仕事にやりがい感じながらも、30すぎると色々笑っていられなくなるもの。
数年間全体的な滞りを感じつつそこから抜け出せなくて、結構苦しい思いをしていました。
それ以上に周りに苦しい思いもさせたとも。
ふと、マンションを買おうと思いつき会社の近くで中古マンションを購入。
地元の老舗企業だったので女性単身でもすんなりローン通過。
購入から引っ越しまで無事に住んで、落ち着いたら思ったのです。
「もう会社やめてもいいんだ」。
そう思ったら今まで頭や体から抜けなかった滞りがすっと流れ始めました。
夏前から転職活動を開始。
そこで今までどれほど会社で甘えさせてもらっていたか思い知りました。
もしいい縁がなかったり、会社を今までと違った角度でみることができれば、また会社で頑張ろうと決めての転職活動でした。
実際はホットヨガのスタジオと不動産会社から内定をもらいました。
でもわざわざ会社辞めて、やりたくもない仕事やる?といまいち決めかねていたとき、ヨガの先生が明るくこう言ったのです。
「いよいよインストラクターとしてやっていく決心ができたのね!」
それを聞いたら、また滞りが流れ始めました。
そして自営業(といってもほぼフリーター)の道を選んだのです。
会社に退職の意を伝え準備をしている時、知り合いからアドバイスをもらいました。(まぁ辞めるまではすんなりとはいかなかったのだけれども、それは別の話)
「インド行きなよ、ヨガやるならインド。箔がつくよ」
そもそも私は水回りが汚いところは無理なのです。ハワイの郊外でギリ、台湾で限界。想像するにインドは私には堪え難い国。
なのに、行くと決まったのです。
そして2016年12月20日、12年間お世話になった会社を無事に退職させていただきました。朝から猛スピードで挨拶をすませ、退社。
その日のうちにインドのデリーに行ったのです。
2018年10月現在も怒涛のようにつづく混乱と安寧の幕開けでした。
(インドに向かう飛行機から撮った雲)